子供が勉強したくなる母の声かけ

以前、教えていた中学生の生徒さん、
クラスで3位という好成績を取りました。

(教え始めた頃は、
下から3位くらいでした(T-T))



「え~っ!!
よく頑張ったね~(^▽^)
お母さんも喜んでくれたでしょ!?」
と、聞くと…

浮かない表情(。・_・)



「もしかして…
褒めてくれなかったの?(゚ロ゚)」
と言うと、

「”すごく頑張ったね。
でも、もう少し頑張れば
1位を取れたんじゃない?”
と言われました(´д`)」

って…


なるほど、
気持ちは分かりますね…

「這えば立て、立てば歩めの親心」
なんでしょうね。



ですが…付き合っている彼氏に、
十八番の料理を振る舞って、

「すごく美味しいビーフシチューだね。
だけど、すね肉を使えば、
もっと美味しく出来たんじゃない?」

と言われたらどう思いますか?


もちろん、素直で可愛い女の子は、
“じゃあ、次回からすね肉を使おう”
と思うでしょう。



だけど、私なら…
「私のビーフシチューは
“すごく美味しい”んだよね?
じゃあ、
ダメ出しは必要ないんじゃないの💢」 

と、思ってしまいます。



どうして、

「成績上がったね~
勉強した成果だね~
素晴らしい~(^▽^)」

と、手放しで
喜んであげないのでしょう?



一年程前のことですが…
息子がいつもの2倍くらい大きい声で、
「ただいま〜」と、帰ってきました。

「私のテストで197点を取った強者がいます。
(200点満点です)
よくやった(^_-)」

と、先生が息子に
数学のテストを返してくれたそうです。



即座に旦那が、
「えっ、3点ミスしなければ、
満点だったよね。」って…

一瞬で、息子の顔は曇りました。



「満点を取る必要は全くないよ。
高校2年生の数学のテストで、
197点は素晴らしい☆彡

毎日、
コツコツ頑張ってきた成果だよね!」

と私が言うと、
息子の表情が和らぎました。



その後、息子が、
「僕も勉強を頑張ってるけど、
クラスの○○さんにだけは、
いくら僕が頑張っても
勝てる気がしないんだよね~」


「勝てない子がいるのは
当たり前だよね。
別に一番になる必要なんてないよ!

大学受験は、
全国の高校生が受けるわけだから、
重視すべきは、そこじゃない。

コツコツと頑張ってることが
素晴らしいと、母は思うよ(^_-)」
と言いました。



“当然、褒めて貰えるだろう状況”で、

出来ていないこと
足りていないこと
を指摘されるのは、

頑張った人間にとっては、
あまり気分の良いものではありません。



親は、
上手に這えば、次は立って欲しい。
上手に立てば、次は歩いて欲しい。

当然、そう思うことでしょう(^_^)


ですが、
やっと立った子供の身になればどうですか?

そんなに求められても、
負担になるばかりではないでしょうか?




私が息子を出産した時、
病室へお祝いに来てくれた義理母が、

「おめでとう。
次は、女の子をお願いね…」
と言いました。


流産も経験し、
高齢出産で、ようやく子供を授かり…
喜びと安堵の気持ちに包まれていたのが
一瞬で消えました(T-T)

もちろん、
義理母に悪気はありませんし、
正直な気持ちなのでしょう。


ですが、あの時の…
あの言葉を聞いた時の違和感は、
17年以上経った今でも覚えています。


同じことを言われても、
出産から1年後なら、
それ程、嫌な気持ちにならなかったのかも
しれません。

出産直後だったので、
余計にショックを受けたのでしょう。




子供にアドバイスをしたり、
注意をする場合も、
言うタイミングが大切です。

そして、親の言葉は、
親が思うよりもずっと…
子供にとっては、
高圧的に聞こえるようです。



例えば…

「よく頑張ったね~
だけど、もっとケアレスミスを
なくせるよね。」
と親が言えば、

子供にすれば、
「よく頑張ったね」の部分は
あまり印象に残らず、

「もっと、ケアレスミスを
なくせるよね」の部分だけが
印象に残るようです。


つまり…
親からすれば、
「ちゃんと褒めてもいるのに…」
と思うでしょうが、

子供からすれば、
「頑張っても、怒られる…」と受け取り…
腹が立ったり、
やる気をなくしてしまう場合が
多いようです。



褒めるときには、
褒めることだけ言う。

アドバイスや注意があれば
日を改めて言う。

そのほうが、
素直に受け入れる子供が多い
と、私は思います。


そして、前述の…
親の言葉は、
親が思うよりもずっと…
子供にとっては高圧的に聞こえる

ということを、

もっと意識して
子供と接すると良いと思います。

(腫れ物に触るように…
という意味ではないですよ(^_-))



親が注意をすると癇癪をおこす
とか、
上手く出来ないと癇癪をおこす
という話を、よく聞きますが…

それは、
出来ないことに、
子供自身が苛立っているから

では、ないでしょうか?

(こういう子供さんは、
ある意味、
人より向上心があるんじゃないか?
という気がするのですが…(^^))



自分が勝てるはずのない人間から
分かっていることを注意され、
やろうと思っても上手くいかず、
気持ちの持って行き場がない…

そういう気持ちが
癇癪となって表れるのでは
ないでしょうか?



子供に注意やアドバイスをする時、
親は当然、
「子供のためなんだから…」
と思っていますよね。

(事実、そうですから…)


ですが、
そう思って話をしている時点で、
すでに高圧的なオーラが出ている!?
のかもしれません(;^^)



子供は生まれてきて、
まだ10年前後。

30年も40年も50年!?も
生きている私達とは、
経験値が違います(>o<)



出来なくても当たり前!
出来ないことが多くて当然だ!

ということを大前提に話をすると…

もっと素直に受け入れて貰えるような
気がします(*^o^*)



もっと勉強させたい。
中学受験させたい。


という考えは、親の意向です。

(もちろん、親からすれば
子供のためなのですが…(^^))


小学生の中には、
親の意向を組んで、
あるいは自分の目標に向かって
自分から勉強する子もいますが、
それは極々…少数派です。

大半の子供は、
勉強するよりも遊ぶ方が良いし、
“あなたのため”なんて言われても、
そんなの分かるはずがないんです。



「宿題くらい、やって当然でしょ!」
ではなく…

「遊びたいのに宿題をして偉いね!」
という気持ちを、
親は持つべきなんじゃないでしょうか?



やれない
出来ない
やりたくない…


という子供の気持ちを、
まず親が理解してあげることが、

子供が
“勉強をやる気になる”
ことに繋がるのではないか?
と、私は思います(*^o^*)

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